ピンクレディーの登場以来、僕らは、歌って踊れる女性アイドルに夢中になり、嬉々としてフリマネをしてきました。おニャン子、Wink、SPEED、安室奈美恵、MAX、dream、モー娘。…単に女性アイドルってだけでなく、振付けが面白い(またはカッコいい)ってこと、メンバーにちょっとおブスなキャラがいるところがツボでした。そういう意味で、Perfume人気は当然といえば当然です。
が、それだけじゃない、実に様々な奥深い魅力がPerfumeにはあると思います。
ライブのMCで「女子〜、男子〜、そうじゃない人〜」という呼びかけを行うことでも有名です(身近なスタッフさんにゲイの人がいるおかげだという話を聞いたことがあります)
そして、その音楽性やパフォーマンス性の高さ、Perfumeの「ありよう」にも、僕らを魅きつけてやまない何かがある気がします。
というわけで、今の日本のゲイイコンであるPerfumeの魅力について、様々な角度から探ってみたいと思います。
ちょっとやそっとじゃマネできない驚異的な振付け『Love the world』。テレビの音楽番組でもあーちゃんが「一度もちゃんと成功したことがない」と言ってました。
Perfumeの魅力はなんといってもあのダンスでしょう。テクノでエレクトロでクラブっぽかったりする音楽(『ポリリズム』の間奏がUnderworldの『two months off』であるというのは有名な話)ももちろんイイのですが、やっぱりあの独特のダンス(振付け)ですよね。
ほとんどの方は『ポリリズム』からPerfumeを知ったと思います。あのちょっと不思議で思わず笑ってしまうような振付けは、ひさびさの「ヒット」でした。
Perfumeの、キホン女の子らしくてカワイイんだけど、やたらと高度で独特で、もはやアートとも言えるような天才的な振付けを手がけているのは、MIKIKOというコレオグラファーです。
(ちなみに、あの『ポリリズム』のサビだけは、MIKIKO先生ではなく香瑠鼓という方が作ったんだそうです)
MIKIKO先生は「彼女達のダンスは不思議で独特だと言われますが、それは音のとり方をあえて変則的にして、一瞬見ただけでは分析しにくいようにしているからかもしれません」と語っています。
Perfumeは、ピンクレディーやWinkの時代には考えられないことですが、「子どもにはマネできない」アイドルなのです。あまりに振りが難しいので、ライブでも(出だしやサビなどの簡単な部分をのぞき)みんなでいっしょに踊る光景は見られません。が、難しいがゆえに、見事に完コピできたら「スゴい」と賞賛されるわけで、振りマネ好きなゲイたちのチャレンジ精神に火をつけている気がします。
MIKIKO先生はこういうことも言っています。「一見簡単そうに見えるけど、あれはPerfumeだからこそできるのよ。あの筋肉と柔軟性は並大抵の努力では手に入れることができないわ」。本当にそうだと思います。
本人たちも「難しい振付けが簡単に見えるように努力している」と語っていますが、笑顔で楽々やってるように見えることも、実は天下のアクターズスクールで子どもの頃から鍛え上げてきた(ある意味サラブレッド)、そのたゆまぬ努力の賜物なのです。そう、まるで姫川亜弓のように…きっとPerfumeの3人なら「空気椅子」も難なくできることでしょう。
考えてみると、通常はバンドメンバーやダンサーたちもいっしょに見せないと埋まらない大ステージ(武道館や代々木第一体育館)を、20歳の女の子がたった3人だけで2時間持たせるというのは、驚異的です。その尋常ならざるパフォーマンス能力あってこその偉業です。
『ポリリズム』ロングバージョン。アイドルとは思えないプログレッシブな間奏部分に注目!変拍子がいくつも重なるこの「ポリリズム」を見事に3人合わせて踊れるなんて…離れ業としか言いようがありません。神です。
約4年前、まだ全く売れてない頃にPerfumeが『キューティハニー』を歌ったことがありました。あーちゃんが声量たっぷりにソウルフルに歌っていてビックリさせられます。これが加工する前の素のPerfumeなのです。
Perfumeはテクノポップユニットと言われますが、与えられた曲をカワイイ服を着て歌って踊る女の子たちですから、どう考えてもアイドルです。自らの創造性はゼロで、作詞作曲、プロデュース、ダンスの振付け、衣装など、すべて一流のアーティストに着せてもらっている「お人形」です。その潔さがよかったのです。
天才・中田ヤスタカがPerfumeをプロデュースするや、あえて彼女たちの声にエフェクトをかけまくり、その個性を押し殺しました(たぶん実験的な試みというか「賭け」だったのでは?)。そうやって「自分らしさ」を剥ぎ取られて「お人形」化したことで、今のスタイルが完成し、Perfumeは見事に売れ始めました。
偶像という本来の意味で、Perfumeは正統的なアイドルと言えますが(「最後のアイドル」と言われています)、その無色透明で無機質な「お人形」っぷりを徹底させ、「近未来」や「デジタル」や「孤独」や「エコ」などのフレーバーを自由自在にビルトインし、忠実に再生できる機械と化したことで、Perfumeは他のアイドルとは一線を画するアーティスト的な地点に到達し、ネット時代の口コミと木村カエラらの支持という相乗作用で、等比級数的にブレイクしたのです。
おニャン子以降、アイドルは等身大で、握手会に象徴されるような、生でリアルなコミュニケーションが可能な「隣の女の子」「妹分」的な存在になっていきました。ファンならちょっとでも触れたいし、声を聞きたいのです。なのに、Perfumeはキホン、ライブでもリップシンク(口パク)です。パフォーマンスのクオリティを上げるために潔く生歌を捨て、ダンスに専念したのです。どんな大ステージでもリップシンク…ドラァグクイーンと同じです(生歌じゃない意味は異なりますが)
再びMIKIKO先生の言葉を紹介しましょう。「Perfumeの曲から受け取るイメージは、現在ではなく近未来、有機的というよりも無機質なもの。そんなこともあって、なるべく人間離れした質感を出せるように、所々のポージングや目線をマネキン・人形風にしていますね」
「お人形」感をロコツに追求した『シークレット・シークレット』。ちょっとカイリーの『Can't Get You Out Of My Head』を彷彿とさせます。
『エレクトロ・ワールド』の世界観の、エヴァンゲリオンとのシンクロ率の高さは、本当に驚異的です。そのことが、なぜPerfumeが秋葉原から火がつき、ゲイに飛び火したのかを雄弁に物語るような気がします。
『リニアモーターガール』『コンピューターシティ』『エレクトロ・ワールド』の近未来三部作は、世界(やその中にいる自分の生)をバーチャルで不確かなものととらえる歌詞の奥行きの深さが際立っています。21世紀に生きる僕らは、まるで近未来SFで描かれているマザーコンピューターのように絶対的な社会システムの中で、自分の生が「かけがえのないもの」などではなく実は「入れ替え可能なもの」だという残酷な事実に気づき、絶望しながら、何とかシステムの外(世界)に出る方法を夢見たり、時々システムを壊してしまいたくなる…といったビジョンやストーリーを共有していると思います。そんな時代のビジョン(世界観)がPerfumeというメディアを通じてアート的/エンタメ的なプロダクトとして発信された結果、オタクやゲイなどのサブカル系ピープル(非主流層)に俄然シンクロしたんだと思います(作品の強度を上げるために彼女らが「お人形」化したのは当然のなりゆきです)
『edge』の「誰だっていつかは死んでしまうでしょう」という歌詞や、『エレベーター』の「上へ参ります 四階痛み売り場です 人を信じれず 怖さ覚える事でしょう」、『シークレットメッセージ』(※これは中田ヤスタカではなく木の子作詞)の「人間消えたら 地球痛むの?」なども、全くアイドルらしからぬフレーズで、ハッとさせられます。いつも頬を紅潮させて健康的で生き生きと、ハッピーな夢を与えることを使命としてきたアイドルの姿は、もはやそこにはなく、僕らが見ないようにしていること、時々日常の中で口を開けている陥穽のような闇を示唆することで先述のビジョン(世界観)と同様の刺激を与えてくれるという、たいへん「エヴァ」的なエンターテインメントになっているのです。
そういうバックグラウンドを踏まえつつ、『マカロニ』みたいな「日常の中のささやかな幸せ」ソングを聴かされると、本当にせつないキモチにさせられます。がんじがらめのシステムの中のせめてもの抵抗、何ひとつ確かじゃない世界だからこその愛の可能性。今のところシングル曲(大衆ねらいな曲)はポジティブでハッピーなポップソングですが、7月に発売されるアルバムや再びの全国ツアーでも、きっと「エヴァ」的モチーフはどこかに埋め込まれていくことと思います(楽しみです)
『edge』@武道館。素晴らしくカッコいいです。「誰だっていつかは死んでしまうでしょう」のところは、大写しになったメンバーの顔を3人が見上げるという演出で、宗教的です。モノクロの大写しの顔の映像は、まるで綾波レイが巨大化するシーンのようにシュールですし、2回目のスクリーンを見上げる3人のポーズも、どこか水槽の中の綾波の姿をイメージさせます。
SPEEDで言えば仁絵、モー娘。で言えば保田圭がいい例ですが、アイドルユニットの中にあって決して美人ではないけどキャラが立った存在が、熱烈に人気を集める傾向がありました。
翻ってPerfumeはというと、正統派美人ののっち(発言も正統派)以外の二人は、かわいいけどちょっと男顔のあーちゃんと、かわいいけどちょっと特徴のあるかしゆかという、微妙なところです。そこがイイのです。
音楽やパフォーマンスは素晴らしいクオリティで、無機質で近未来でお人形さん的なのですが、本人たちはいたってゆるキャラで広島弁まるだしというギャップもまた、Perfumeの魅力です。あーちゃんにいたってはMステでタモリに「武道館はどうでしたか?」と聞かれて「広かったです」と答える始末です(しかも2回も)
苦節8年の叩き上げ、地方のスーパーの屋上でドサ回りライブなどもこなし、自らビラ配りをするような下積み時代を経て、今ようやく芽が出たといった苦労話も共感を呼んでいますが、そのわりに必死さやがっつきをあまり感じさせず、暑苦しい根性論にも無縁で、トボケた味わいや天然ボケっぷりのみを醸し出しています。そのキャラの魅力もまた、面白がられる理由の1つなのでは?と思います。
無垢で純粋で「何も考えてない」印象を与える3人ですが、下積みの苦労を経てきた生身の彼女たちは、切実な不安とともに生きているようです。
5月9日、10日に代々木第一体育館で行なわれた『ディスコ!ディスコ!ディスコ!』のMCの中で、あーちゃんが、「テレビやラジオに出ると、目の前にお客さんがいないけん、いったい誰に向けて発信しとるのか、何のためにやっとるのか、わからんようになった」「私たちは青春のすべてをPerfumeに捧げてきました。これがなくなったら何も残りません。だから、見捨てないでね」「今日という日を絶対に忘れません」と涙ながらに語りました。思わずもらい泣きさせられるような苦労話でしたが、キャリアの絶頂を象徴する晴れやかなイベントとは思えない、あまりにも生々しい心情の吐露であり、彼女たちが「いつかこの人気も終わる」という厳然とした事実を痛いほど認識したうえで「今ここ」の「祭り」を精一杯楽しもうとしている姿勢が伝わってきました。また、Perfumeという自分の手に負えないあまりにも大きすぎる「虚像」に現実の自分が侵蝕されていくような不安を表明したことは、アイドルというプロテクターの内側から亀裂を入れるような、ある意味「破綻」とも言える瞬間でした。それを言ってしまわずにはいられなかった生身の彼女たちの(言わば碇シンジくん的な)せつなさに、そして心からの「本当に幸せです。ありがとうございました」の涙に、激しく心を揺さぶられる場面でした。
たぶん、Perfumeの成功は誰も予想してなかったもので、もはや、事務所とかプロデューサーとかの思惑を超えたところで社会現象的に独り歩きしているのだと思います。そこにはたくさんの人たちの「夢」(「絶望」に裏打ちされた)が投影されています。そして、華やかな表層のムーブメントとは相反し、周囲のPerfumeに賭ける人間くさい「思い」が生んだ奇蹟なんだとも思います。
僕らもまた、そんな一時の夢をもう少しだけ…と書こうとして、いや違う、と思い直しました。僕らは、ピンクレディーにせよSPEEDにせよ、過去の様々な歌姫たち(ゲイイコン)を何度も何度も繰り返し参照し、愛し、パロディにして楽しむステキなカルチャーを持っています。Perfumeもまた、そんなゲイシーンの殿堂入りを果たし、永遠となったのです。