彼氏が重病で入院したときに付き添いや意思決定ができるのか、万が一亡くなったときにいっしょに住んでいた家や共有の財産はどうなるのか、お葬式には出られるのか…?
欧米のように日本でも同性パートナー法が実現するのはまだ何十年も先のことだと目されています。それまでに僕らはまったく無権利の状態で世間の荒波に耐えなければいけないのでしょうか?
実は、今でもできることはいろいろあるのです。結婚の代替手段としての養子縁組や公正証書の作成はよく知られていると思いますが、それ以外にもたとえば緊急連絡カードを作って財布に入れておけば、万が一のときにまず彼氏に連絡がいくようになります。また、まだまだ先のことかもしれませんが、将来、認知症や精神障害により物事の判断能力が不十分になったときや事故や病気などで通常の生活が送れなくなったときのために、自分の代わりに財産管理など身近なことをしてくれる人を選んでおく任意後見制度を活用することもできます。
そういったパートナー間の権利を守ってくれる強い味方が、行政書士という方です。行政書士とは、行政機関に提出する許認可申請書類等や契約書・遺言書等の「権利義務、事実証明に関する書類」の作成・代理などの法律事務を行う方です。法律と言えば弁護士というイメージが強いと思いますが、裁判を起こすのでなければ、高い料金を払って弁護士さんにお願いするより行政書士さんの方がリーズナブルでスムーズに進むことがたくさんあるのです。
この5月、日本で初めて、オープンリーな性同一性障害者(トランスジェンダー)の行政書士が事務所を構えたというニュースが流れました。さっそくそのホームページを見てみると、ひげを生やしてスーツを着た行政書士・宮中裕さんの写真の下に「和洋女子大学卒業」と書いてあります(ステキ!)
この方なら、同じセクシュアルマイノリティの当事者として親身になって相談に乗ってくれそう…というわけで、GLJは行政書士の宮中裕さんにインタビューをお願いしました。
――いつ頃から身体の性別に違和を覚えるようになったのですか?
ずっと女子校だったんですけど、その頃は周りに女ばっかりだから、そのせいなのかな?と思っていました。先輩に憧れるとかよくあるじゃないですか。別におかしくないかなと思ってたんだけど、周りの子とレベルが違ったんです。周りの子は手紙を出したりとかだけど、自分はいつでも一緒にいたい、と。
――本気の恋愛っていう。
周りからおかしいんじゃない?って言われてて。まだ同性愛とかがメジャーじゃなかった時代で、自分でもよくわからなかった。大学に入ると私服だったんで、スカートもはかずボーイッシュな格好をしてました。その頃ロン毛がはやってたんで、髪は長かったんですけどね、江口洋介みたいな。
――ジャニ系とかサーファーみたいな男の子っぽい感じ。
そうですね。ホルモン注射とか胸を取ろうとか考え始めたのは水商売を始めてからです。
――二丁目の「ラ・セゾン」で働いてらしたんですよね?
12年働いてました。今はネットの情報があるけど、当時は女が男に近づくためにはどうしたらいいかという情報が全くなかった。二丁目の元気くんっていう方がたぶんパイオニアだったと思います。
――「ラ・セゾン」はアキ企画さんが経営するお店なので、ゲイの人たちとも日頃から交流があったんですね。水商売で働きながらお金を貯めて手術を?
手術はローンを組んだんです。取るのに86万円かかりました。
――性同一性障害特例法ができて、埼玉医大などで手術ができるようになったのでは?
自分は正規ではなくて、自己診療で受けました。保険も効かなくて。
――整形とかと同じような扱いですね。
――そういう中で行政書士をめざそうと思ったのはなぜですか?
現場がけっこうキツくて、このまま10年も20年もやれるかなって不安だったので、資格を取ろうと思い、父が税理士なので、相談したんです。税理士にチャレンジしようと思ったこともあったけど、挫折して。それで、行政書士がいいんじゃない?って言われて。性同一性障害や同性愛者向けに行政書士をやってるノンケさんがいたんですが、きっと当事者の方が親身になって相手の気持ちになって一緒に悩めるんじゃないかと思ったんです。そんなとき「ラ・セゾン」のショータイム中に突然片目が見えなくなって緊急入院したんです。網膜はく離で。医者に水商売はやめたほうがいいですよって言われて。それでやめて、勉強を始めたんです。
――合格率4.8%(2006年度)の狭き門に見事合格されましたね。本当におめでとうございます。勉強、大変だったのでは?
父の仕事を手伝いながら勉強してたんです。税理士の仕事も試験の内容に関係がありますし、空いた時間に試験勉強できる。あとは運ですよね。自分、受かってるとは思わず、試験の次の日から2回目の入院だったんで、毎日うなされてました。合格発表が2か月先で…長かったですね。
――1回で通ったんですか?
そうですね。
――それはスゴイ。お父様のサポートもよかったんでしょうね。性同一性障害であることを理解してもらうのはわりとすんなりいったんですか?
23歳のときに実家を出て、自分では男になりたいとか言ったことはないんです。「ラ・セゾン」時代に逆転カップルですっていう設定で深夜番組に出たことがあって、それを親戚のおねえちゃんに見られて、母親にバレたんです。でも、責められたりはしなかった。そうなんだ?みたいな。自分もだんだん容姿がひげボーボーになっていったりしたんですが、父親にも何も言われなくて。でも、あるときに「元気で生きててくれればいい」と言ってくれたことがあって…うれしかったですね。
――周りのいろんな人たちの縁や協力があって、夢をつかんだんですね。本当によかったです。ゲイの間では以前からパートナー間の権利を守るための代替手段として養子縁組や公正証書がよく知られてきました。が、宮中様のサイトを見て、緊急連絡カード、任意後見制度などもたいへん有効だと気付きました。性同一性障害だけでなく同性愛者の抱える問題についても深く考えてこられたのですね?
つきあってる人が交通事故とかで病院に運ばれたとき、普通は家族に連絡がいっちゃって、私たちは他人だからと邪険に扱われる。緊急連絡カードを書いておけば、病院も考慮してくれるので、いざというとき持ってたら役に立つんです。親に勘当されてる方とかもいると思いますから、親じゃなくて身近な友達や彼氏に連絡が行くようにしてほしい。任意後見制度は、意識が不明瞭になったようなときにパートナーに託すというもの。今の制度でもいろいろ使えるのがあるんですよね。
――同性パートナー法も実現がまだ先になりそうなので、当面どうしていくかというところで大事な話だと思います。
あとは、名前を変えるということもできますよ。私は初め「裕子」だったんですけど、「裕」に変えました。病院とかで性別が女になってると大騒ぎになったりしますね。
――なるほど。宮中さんは戸籍はまだ変えてないんですね?
制度的には子宮と卵巣を取れば男性に変えることができるんですが、体がまだ完全に男性ではないのに男性って言うのも…と思って、まだ変えてないんです。ちなみに、初めは恋愛対象が女性だけだったんですけど、二丁目でよくゲイの人に声をかけられるんで、だんだん男でもいいかなという感じになってきました(笑)
――じゃあ、宮中さんイケるというゲイの方もぜひ、アクセスを(笑)。最後に、これを読んでる方へのメッセージをひとことお願いします。
ゲイ、ビアン、オナベ、オカマ、人種を問わず、人間が好き。何でも相談に乗りますよ。二丁目に出張するのもOKです。ココロカフェとかね(笑)
――ありがとうございました。
宮中さん、さすが二丁目歴が長いだけあって、気さくで面白い方でした。一方で、女性から男性の体になることの困難を経験し、当事者のためにできることをしようと、見事に難しい試験に合格したその努力も素晴らしいと思いました。
養子縁組や公正証書の作成などについて、宮中さんのホームページでわかりやすく解説されていますので、ぜひ読んでみてください。