吉田修一の作品には、本当に頻繁にゲイが登場します。『最後の息子』『熱帯魚』『パレード』『春、バーニーズで』『命綱』…現存する作家の中で最もたくさん、ゲイを描いてきた人と言えるのではないでしょうか。新作『横道世之介』にも、ちょっとクールなゲイが登場しました。そこを中心に、レビューをお届けしたいと思います。(後藤純一)
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横道世之介
吉田修一/毎日新聞社/1680円
映画や演劇や漫画を観て、その登場人物に恋をすることって、あると思います。小説も同様です。見た目がビジュアルイメージとして浮かばなくても、その人のキャラクターや生き様に惚れてしまうのです。
横道世之介くんもそうです。
何の取り柄もない普通の男の子に見えて、どこか放っておけない、にくめない、何かしてあげたくなる、そんな、周りの人たちに自然と好かれるタイプです。
大学生にありがちな、だらしなかったり、向上心がなかったりするところもあるけど、世之介くんには素直な人間らしさがあり、のびやかな明るさがあります。恋人だった祥子さんが「たとえ無理だとわかっていてもYESと言う人」と語っていましたが、まさにそんな感じです。
祥子さんは彼とつきあえて本当に幸せだったと思います。
後半、3/5くらいのところで、この小説のだらだらした日常は、突然、違う色を帯びてきます。
さもない大学生活が、物語の結末に向かって俄然、違った意味を持ち始め、そして、いつの間にか世之介くんが愛おしくてたまらなくなります。
最後はきっと、泣けてしまうと思います。
平易な言葉で書かれていますが、巧みに物語へと引き込まれてしまう。それが吉田修一の作品の魅力です。
世之介くんには何人か、仲のよい友達がいます。
その中の1人、加藤くんは、世之介くんが間違って声をかけたことがきっかけで友達になった人です。たまたま彼の家にクーラーがあったこともあり、世之介くんは加藤くんの部屋に入り浸るという、ちょっと迷惑なつきあいでしたが、ともかく友達でした。
ゲイである加藤くんを、世之介くんは気持ち悪く思ったりせず、素直に受け入れます。部屋に遊びに行って二人きりになることも全くためらいません。子どもの頃(たぶん小学校低学年とか)、親戚のお兄さんが彼氏といっしょに遊園地に連れて行ってくれたりしたから、慣れてるんだそうです。1970年代の九州の田舎でそんな状況って…ちょっとありえないですよね。ある意味、リアルな日常を描いたこの小説において、唯一、そのリアリティが破綻している箇所だとすら言えます。しかし、作者にとってはリアルなことだったのかもしれないし、あえて、意図を持ってそう書いたのかもしれません。なんたって吉田修一ですから。
この小説の他の登場人物(世之介くんの彼女や、同じクラスの友達)と同様、加藤くんの20年後(現在)の1コマも描かれています。加藤くんは、長いつきあいの「相方」と幸せそう。なのですが、ゲイであるがゆえに世間から理不尽な仕打ちを受けたりもしています。それは、まぎれもなく、僕らのゲイライフの真実の姿です。
分厚い単行本のほんの数ページ分ですが、さりげなく描かれた「ゲイが直面するリアリティ」についてのエピソードは、僕らにとっては特別な輝きを放つものであり、一般読者にとっても「そんなことがあるんだ」と新鮮なインパクトを与えていると思います。
吉田修一は、デビュー作の『最後の息子』から一貫して、ゲイに寄り添い、丁寧に愛情をもって描き、エールを送ってくれた人ではなかったでしょうか。テレビに出てくるような人ではなく、どこにでもいるような人としてのゲイのリアリティや、ゲイが抱えている問題を世間に伝え、理解や共感を得ようとしてきたように思います。村上春樹の『東京奇譚集』と同様です。
ゲイだけでなく、吉田修一はしばしばブルーカラーの人も同様に愛情を込めて描いています。不当に社会の片隅に追いやられているような人たちに光を当て、彼らが救われることを願う、そのあたたかなまなざしが(本人の冷たそうなルックスとは裏腹に)、きっと人気を博している理由の一つなんだと思います。
そういうわけで、ゲイの間でも、吉田修一ファンはけっこう多いようです。他の小説はそんなに読まないけど吉田修一は読む、みたいな人もいたりして。
まだ吉田修一を読んだことがないという方も、ぜひ『横道世之介』を読んでみてください。大学時代を東京で過ごしたアラフォー世代の方なら、間違いなくハマると思います。
ちなみに、吉田修一の『パレード』が映画化されます。来年2月公開予定です。
ホスト(ウリ専)をしているサトルを演じるのは林遣都(現在、ドラマ『小公女セイラ』出演中)。どんな演技を見せてくれるか、楽しみです。